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ゴルツ男爵の幽霊屋敷『カルパチアの城』

【あらすじ】
 廃墟となっていたカルパチアの城に人の気配が!?
 調査に向かった村人2人は怪現象に会い逃げ帰る!
 恐怖におののく村にテレク伯爵が旅の途中でやって来る。
 カルパチア城の持ち主を聞いた伯爵は因縁の相手・ゴルツ男爵との過去を思い出し、調査に向かうのであった!!

【感想:ヴェルヌが描く廃墟の幽霊騒動!】
 迷信深い田舎の山村のはずれに立つ廃墟化した古城の幽霊騒動!
 幽霊の正体はれっきとした生きた人間であり、怪現象の原因はマッドサイエンティストが発明した電気仕掛けのからくりだったのでした。
 幽霊の正体・廃城の持ち主はロドルフ・ド・ゴルツ男爵です。
 自分の持ち城に帰ってきたただけなのだから、何も秘密にせんでも堂々と引っ越して近所付き合いしたら良かったのです。
 村人を虐待したために追い出されたというのなら別ですが、そのような事実はありません。
 むしろゴルツ家は地域の独立のために異民族と戦ってきたというのですから、地域の名家の末裔として敬われてもいい立場ではないですか。
 とはいえ、没落して逃げ帰ったようなものだから、人嫌いの引きこもりになっても仕方のないことでしょうか。
 集英社文庫版の解説で矢野浩三郎さんは、この作品はヴェルヌが悲観的になった時期に書かれたものだからゴルツ男爵には作者の厭世的姿勢が投影されている、と指摘されています。

 アマゾンの文庫版の書評でゴルツ男爵は一応悪役だけど「ゴルツ男爵が何をしたわけでもない」……と指摘されている方がいらっしゃいます。
 確かに彼は歌姫ラ・スティラの熱狂的な追っかけでしたが直接的に何かアプローチしていたわけではありません。
 具体的な行為は何もしていないのだから、追っかけではあってもストーカーではありません。
 ラ・スティラが一方的に怖がっていただけなのです。
 で、最終公演に初めて顔を見せただけでラ・スティラがショックで死んでしまうという、存在するだけで不幸を呼ぶような気の毒なオッサンです。
 ゴルツ男爵は年の頃は50代前半……と、私と年齢まで近くてとても他人事とは思えません。まるで自分自身を見ているようです。
 多分私も職場の若い人からはゴルツ男爵的な奴だと思われているのではないでしょうか。
 そして私自身もお家断絶に見舞われて郷土の出世頭ならぬ没落頭なのですから、生まれ育った村に帰ること能わぬ境遇です。
 だから行き所を失って生まれ育った城に人知らず隠れて暮らしたくなるゴルツ男爵の気持ちも分かる気がします。

 このゴルツ男爵とコンビを組むマッドサイエンティスト・オルファニクもまた興味深い存在です。
 非常に有能な科学者なのだから、その知識と技術をもっと有効なことに使っていれば良かったと思います。
 彼はパトロンのゴルツ男爵の意を受けてカルパチアの城を幽霊城のように思わせて人を寄せ付けないようにします。
 しかしこれだけ素晴らしい舞台と技術と資本力があれば、カルパチア城をイベントアトラクションのテーマパークに作り変えてお金儲けできたのではないでしょうか。
 例えば、TDLやUSJや太陽公園の白鳥城です。
 白鳥城ではトリックアートやってますが、オルファニクの技術力があればもっとリアルなアトラクションが可能となるでしょう。
 そうなれば観光客もやって来て雇用や税収も増えて村人達も喜び、共存できるのではないでしょうか。
 ゴルツ男爵とオルファニクの進むべき道は、この方向だったと思います。
 
 先ほど私は私自身を郷土の没落頭の厭世家でゴルツ男爵的な人間だと申しました。
 しかし一方で、見世物や大道芸や啖呵売や香具師などに関心を持つ面も持っています。
 どちらの性格を出していくかは選択の連続であるし、その結果に大きな違いがあるように思えます。

太陽公園 公式サイト
  https://www.taiyo-park.com/

  [wikipedia:太陽公園]

語り芸について書いたブログ記事|市井學人 #note

  https://note.com/diletanto/n/n28a314b62ec0

 最後にゴルツ男爵が取ろうとした選択はあきらめが早過ぎると思います。
 先に言ったように自分の生まれ育った城に帰って住んでいるだけなのだから悪いことをしているわけじゃない。
 捕えたテレク伯爵にも具体的に加害を加えたわけでもない。
 一応食事と水は与えて歓待しています。
 だから城を爆発しようとせずにテレク伯爵を解放して警官隊も迎え入れ、何とか言い繕っていれば、執行猶予付きの懲役くらいで済んでいたのではないでしょうか。
 刑期が過ぎれば堂々と自分の城に住み続ければ良かったのです。
 それまで法を犯すことはしていなかったのだからそれを続けてほしかったと思います。
 ヴェルヌ時代の物語の悪人は最後にはあっさりと成敗されていたのでしょう。
 しかし21世紀の独占資本主義時代の悪人達はしぶといもので、悪事が露見しても言い繕ってのうのうと生き延びています。
 前首相やその後継者、それに連なる中抜き寄生虫企業の連中もみんなそのようなものです。
 そう考えると、悪人が簡単に滅ぶのは物語の中だけなのかもしれません。

 さて今回、塩谷太郎の少年少女向け抄訳と、安東次男訳版、それに新島進の新訳版を読み比べてみました。

偕成社 ジュール・ベルヌ名作全集11 1968年
カルパチアの城 塩谷太郎・訳 岡本颯子・絵
  23字×16行×2段×181頁=133216字
 

集英社ヴェルヌ全集6 1968年
カルパチアの城 安東次男・訳 滝瀬弘・絵
  25字×18行×2段×198頁=178200字
 

集英社文庫ジュール・ヴェルヌ・コレクション 1993年
カルパチアの城 安東次男・訳
  41字×18行×1段×239頁=176382字
 

インスクリプト<驚異の旅>コレクション5 2018年
カルパチアの城 新島進・訳 
  26字×22行×2段×185頁=211640字

 今から読まれる方には、詳しい訳注と解説が付いている新訳版をお勧めします。
 しかし、安東次男版も独特のリズム感が心地よくて読みやすく、捨てがたい。
 1968年の訳とはいえ、決して古びてはいなくて読みやすいのです。
アマゾンカスタマーレビューでは
「ユーモア混じりの文章といい、なんだか講談師が昔話を声を張り上げながら口演しているような感じだなと思ってしまいました」
と書かれている方がいらっしゃいます。
 安東次男さんは俳人や詩人としても活躍されていたようです。
 読みやすいリズムある文体はその辺の背景から来ているのでしょうね。
 そしてヴェルヌ後期のこの作品を少年少女向けに翻訳するとは、偕成社版も渋い選択をしています。
 塩谷太郎の抄訳は原作に忠実になぞっています。
 忙しい現代に生きる大人は、あえて完訳を読まずともこの塩谷版を読めば原作の雰囲気を味わえると思います。

 安東版と新島版を読み比べて、一部の人名の表記に違いがありました。

(安東版)
ミリオッタ
コルツ旦那 司法官
ヨナス 旅籠『マティアス王』主人
オルファニク

(新島版)
ミリオタ
コルツ村長 判事
ジョナス 旅籠<マーチャーシュ王>亭主人
オルファニック
 
 塩谷版は安東版に準じています。
 塩谷太郎さんはドイツ文学者ということなのだから、安東版を底本にして抄訳したのではないでしょうか。
 ただ、フランツ・ド・テレク伯爵について示す際、完訳版では
「フランツは~~」
とファーストネームで記されることが多いのですが、塩谷版では
「テレクは~~」
と表記されています。
 確かに外国文学を読む際、人名の呼び方で混乱することあります。
 子どもが読むには「テレク」「テレク伯爵」と統一する方が分かりやすいということでしょうか。

 
 物語の舞台は、前半は迷信深い未開の村であり、後半は廃墟化した城です。
 ツイッターで廃墟写真を見るのが好きな廃墟マニアとしては嬉しい展開です。
 しかし、ヨーロッパの古い城の構造がよく分からないのでイメージは適当です。
 映画版を観ればもっとしっかりイメージできるかな。
 例えば、テレク伯爵はカルパチアの城の地下牢に閉じ込められますが、その地下牢には中庭があるようです。
 地下牢に中庭があるとは西欧は捕虜の住環境に配慮しているのかと驚きです。
 
(新島訳)
「出た先は、小さな円形の庭だった。幅は五、六歩で、壁は100ピエ(32メートル)ほどの高さに聳えていた。それは、わずかな空気と光を採り入れるための、地下牢に備えられた中庭であり、まるで井戸の底にいるかのようだった。」
 
(塩谷訳)
「そこは、直径五、六メートル、かべの高さが三〇メートルばかりのいどの底で、そこからかれのいた地下室に、いくらかの空気と光が送られていたのだ。」

(安東訳)
「そこには、小さな、五、六歩しか歩けないほどの空間がまるみを帯びてあり、壁は三〇メートルばかりの高さをもっていた。いうならば、それはこの地下の独房の中庭の役目をしている、井戸の底であった。そこにはほんの少しの風と光がおりてきていた。」

 新島訳が一番イメージを起こしやすく、また原作のニュアンスも正確に伝えているように思います。
 大学受験時に英文解釈に苦しめられた者としては、外国語を自然な日本語に翻訳することの難しさを思い知らされる部分です。

 

【偕成社 塩谷版】
 解説では、科学評論家の奥田教久さんが「一九世紀末の発明」というテーマで書かれています。
 電話の発明者はアレキサンダー・グラハム・ベルの他にもフィリップ・ライスやエライシャ・グレイそれにトーマス・エジソンらもいた!というような発明発見物語です。
 
 なお、本書では人名を表記する際、「アレキサンダー=グラハム=ベル」のように、「=」を用いています。現在では「アレキサンダー・グラハム・ベル」のように「・」を使うことが多いですね。しかしそれに至るまでには他の表記も並立していたのでしょう。
 私も確か本多勝一さんの『日本語の作文技術』で、人名表記には「=」を使うべきだと書かれていたのを読んだことがあって、一時「=」を使用していたことがありました。まあ今となっては多数標準に従っています。

【集英社ヴェルヌ全集版】
 訳者あとがきで安東さんが
「この種の文学作品によって、もっと自分の想像力をひろげる訓練をしてよいようにおもう。」
……と記しています。詩人らしくロマンチックな指摘ですね。

【集英社文庫ジュール・ヴェルヌ・コレクション版】
 矢野浩三郎さんの解説では、ヴェルヌの後期作品を評価。
 菊地秀行さんの解説では、本作品ではヴェルヌの真価と限界が見られる、と。

【インスクリプト<驚異の旅>コレクション版】
 石橋正孝さんの解説と新島進さんの訳者あとがきが収録。どちらも分量・内容ともに充実。
 文学の専門家が書く文学の専門的な文章はこんな感じなんですね。
 ちょっと私には歯が立たない。
 一応私も日本ジュール・ヴェルヌ研究会の会員なのだからこんな文章にも対応できるようにならないといけません。

※集英社ヴェルヌ全集版の滝瀬弘さんの挿絵は、原書の挿絵を模写したもののようです。
左:インスクリプト版 右:滝瀬弘版

   

  

 

 

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