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【フランケンシュタイン】の主題による変奏曲

 新聞のコラムでフランケンシュタインに言及したものがありました。よく考えればこの有名な作品について知らないぞと思い、この機会に読んでみることにしました。
 正直言うと、確か中学生の頃に角川文庫版を一度読んだのですが、あまり理解できなかったのです。当時の私には大人向け完訳版は難し過ぎたのでしょう。小学校の図書室に子ども向け翻訳があったら借りていたと思うのですが、なかったと思います。
 フランケンシュタインというと日本人にはある一定のイメージがあると思います。その最たるものが安孫子素雄さんの『怪物くん』に登場するフランケンさんでしょう。しかしイメージとは違って原作ではフランケンシュタインは怪物を作った青年科学者の方であって、怪物の方は名前がありません。
 
メアリー・シェリー(1797年~1851年)
ジュール・ヴェルヌ(1828年~1905年)
ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866年~1946年)

 で、シェリー夫人はヴェルヌやウェルズより先の世代となり、『フランケンシュタイン』も一般的にはSFというより「ゴシック小説」と分類されています。
 今回再読してみて、格調高くて文学的な内容に畏れ入りました。こりゃあ中坊の私が理解できないのも無理はない。
 怪物がフランケンシュタインに語った体験談は悲しいものです。
 視力など五感を感じられるようになり、歩けるようになり、創造主に見捨てられ外に飛び出します。
 火の使い方を覚え、人々を観察し、迫害され、隠れながら人々を観察し、言葉やその他の知識を覚えていきます。
 知的好奇心が旺盛で色々な知識を吸収し、人々の仲間に入りたいのですが受け入れられず、やがて創造主や人類への怒りや恨みを持つまでになります。
 これは無垢の人造人間が悪の人造人間に成長していく悪の成長譚であります。
 また、創造主のフランケンシュタインの立場から見ると、創造物に裏切られる物語であります。
 私が読んだ新聞のコラムでは、人類が科学を制御し切れずに科学に裏切られるといった文脈で書かれていたように思います。
 しかし創造物だとか科学だとか大きな話にしなくても、子育てや後輩・後継者のことを考えると、全ての人に身近な問題となるのではないでしょうか。
 いわばフランケンシュタインは子育てに失敗した例であり、怪物の語る体験談はグレた子どもの言い訳なのです。子育てや教育は大事ですね。
 原作では、フランケンシュタインの母親は二人の養子をもらってわが子同様に大切に育てています。二人は心優しい立派な人格に育ちましたが、怪物の反抗によって犠牲になります。
 子育てと文学の話題というと、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』は養子によって一家に不幸が訪れる物語です。
 また、ジュール・ヴェルヌの『サハラ砂漠の秘密』も養子がグレて復讐する物語です。
 これらも大きく見れば「フランケンシュタイン型」の物語?

 検索してみると、現在『フランケンシュタイン』は完訳版も子ども向け抄訳版も含め、かなり選択の幅があります。
 私が子どもの頃はそんなに充実していなくて、小学校の図書室にもなかって、角川文庫版が唯一の選択肢だったように思います。
 私が子どもの頃はネット書店もネット古本屋もなかったので、その点では最近の方が読みたい本を読みやすい環境になったのかもしれません。
 それはともかく原作はかなり格調高い物語なので、それを字数の限られた児童書としてどのように紹介するかが翻訳者の腕の見せ所でしょう。
 いわば、「フランケンシュタインの主題による変奏曲」です。
 以下、今回読み比べた本を紹介していきます。
 

フランケンシュタイン (ポプラ社文庫 31)
 飯豊道男・文 福田岩緒・絵 1985年
   表紙画像はこちらから
  https://booklog.jp/item/1/4591019985
  https://bookmeter.com/books/42809
 
 ウォルトンの手紙による書簡体となる原作の構成を忠実に再現しています。
 訳者の飯豊さんは「訳者あとがき」で
 
「SFの歴史は十九歳のメアリ・シェリーが書いた、この『フランケンシュタイン』から始まっているのです」
「登場する人物は小数(ママ)しかいません」「この小説は広い空間を舞台としながら、しかも密室の事件といった感じを与えるのも、作者のそういう用意があるからかもしれません」
「いってみれば、事件が社会的事件にならないように、個人的事件であるようにくふうしているのです」
「小説の一番初めと終わりを、北極近い海の現在の場面にし、中心部分を過去にして、いわば封じこめてしまうのです。これはきわめて倫理的な(ママ)構成の小説といえるかもしれません」
 
……と、子ども向けの4ページで印象的な鋭い指摘をされています。これは重要な指摘ではないでしょうか。子どもたちにとってもこういう記述を読むのはためになることだと思います。(私にとってもためになった)
 絵を描いているのはかわいい絵本をたくさん出しておられる福田岩緒という方で、何だか違和感ある人選ですが、意外といい味出しています。

     
  
   

フランケンシュタイン (フォア文庫)
 山主敏子・文 スズキコージ・絵 1998年
  https://booklog.jp/item/1/4323090021
  https://bookmeter.com/books/160351

 三人称体で描かれていますが、最初と最後に北極探検船が登場する構成は再現されています。
 翻訳者の山主敏子さんは長年にわたって古典文学を児童書として翻訳されてきたベテランだけあって格調高く端正な文体です。
 山主敏子さんの生没年は1907年~2000年ということです。単行本版が出版されたのは1984年ということだから、80近い年齢になってからの仕事ということになります。
 スズキコージさんの挿絵はごちゃごちゃとした線が一杯書き込まれて黒っぽくて不気味です。
 普通の人物も何となく細長くてデッサンが狂っていて不気味です。ビクターやクラーバルも何となくその後の不幸を感じさせる絵です。証言台に立つ気の毒なジュスティーヌは綺麗なんですが、魔女狩りに遭った魔女という感があります。

      
 
 

フランケンシュタイン (少年少女世界恐怖小説 5)
 矢野浩三郎・訳 柳柊二・絵 朝日ソノラマ 1972年
   表紙画像はこちらから
  https://booklog.jp/item/1/B0757CW97L
  https://bookmeter.com/books/13789824

 語り手を設定せず三人称体で描かれています。冒頭の北極探検隊のシーンはなく、ビクトールが怪物を創造する場面から始まっています。最後の第6章はロバート・ウォルトンがペテルブルグで学んで北極探検に出発するところから描かれています。
 そういった語りの変更がありますが、平井呈一さんが「監修者のことば」で
「恐怖小説のほんとうの良さ、おもしろさを文学として味わってもらおうと企画刊行するのがこのシリーズなのです」
と書いているように、原作に忠実に格調高く訳されています。
 ウォルトンが北極探検をあきらめて帰還を決定する際、
「個人の研究のために乗組員を危険にさらして殺す権利は私にはない。乗組員を返してやらねばならない」
と言ってビクトールが安心するシーンが特長的だと思います。
 これは子どもたちに教訓になるいいシーンだと思います。
 怪物が
「人類がまだいったことのない、北極点に立って死ぬんだ」
と言ってるのも印象的です。これはウォルトンの願いを代わりに引き受けているのでしょうか。
 こういった細かい訳し方の工夫が子ども向け抄訳の腕の見せ所です。
 挿絵は柳柊二師匠です。
 このシリーズが全巻小学校の図書室に入っていたら良かったのに、全巻読んでいたのに、と思います。

【フランケンシュタイン】の主題による変奏曲 その2
  https://sfklubo.net/frankenstein2/
 
  
     

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