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悪のネモ艦長・ダルチガス伯爵の超ミサイル兵器開発計画を阻止せよ!【悪魔の発明】

★ ☆ ★ ☆ あらすじ ★ ☆ ★ ☆彡
 フランスの大発明家トマ・ロックは超高性能のロケット兵器を開発したのであります!まさに竹やりで戦う戦場に核兵器を持ち込むような超必殺兵器であります!この兵器を持つ国は無敵となり、世界を武力で支配することも可能となる恐るべき兵器だったのでありました!しかし欲にかられたトマ・ロック博士が各国に破格の値段を吹っ掛けたためにどこからも相手にされず、怒りのあまりに気が狂ってアメリカの精神病院に入れられてしまったのでありました!
 この超兵器を手に入れ、世界を支配しようと考えたのが大海賊ケル・カラージュその人であります!カラージュは精神病院に忍び込み、トマ・ロック博士と看護人シモン・アールを誘拐し、秘密基地に幽閉するのでありました!
 人類の未来を憂いトマ・ロック博士を慕うシモンは果たしてケル・カラージュの野望を砕き人類の危機を防ぐことができるのでありましょうか!!!
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆彡
 
 本作品の主人公はマッドサイエンティストのトマ・ロックでもあり、語り手のシモン・アールです。
 そしてその二人を誘拐した悪役の海賊の頭目がダルチガス伯爵を名乗るケル・カラージュです。海賊一味は性能の良い潜水艇(タグ・ボートと呼ばれる)を駆使しています。そう、『海底二万里』のネモ艦長とノーチラス号を悪に反転させたようなイメージです。ヴェルヌ初期の作品、『海底二万里』(1870年)や『神秘の島』(1875年)で科学技術の明るい未来を見せてくれたネモ艦長がヴェルヌ最後の名作とも言われる本作品(1896年)で悪人として転生したわけです。これはヴェルヌ自身の心境の変化も反映しているのでしょう。
 
 
 本作品の主人公(語り手)側の人間は孤独です。大科学者トマ・ロックは偉大な発明をしながら精神がおかしくなって誰も信じられなくなっています。語り手シモン・アールはトマ・ロックを尊敬し守ろうとしますが相手にされません。
 一方、悪人である海賊達は楽しそうにやっています。頭目ケル・カラージュには特に親しい腹心の部下が二人います。その一人は有能な技師であるセルコ技師であり、もう一人は有能な切り込み隊長であるキャプテン・スパードであります。
 特にセルコ技師は有能であり、ノーチラス号に匹敵する潜水艇の製作者でもあります。また、コミュニケーション力に優れ、シモン・アールに色々と話しかけ、仲間入りを説得したりします。ネモ艦長はノーチラス号の中でも船員達とは一線を画して孤高を保っていましたが、ケル・カラージュには二人の友人がいて楽しそうです。
 それで、技術者であるシモン・アールもセルコ技師からは一目置かれているのだから、積極的に仲間入りしたらアロナックス教授のように友人として迎えらえたかもしれません。少なくとも面従腹背で表面上は従うふりをしていれば待遇は良くなったはずなのに、あくまでも一人で行動しています。正義を貫くのは孤独なのです。
 
 捕虜に対する待遇という面から見ると、ケル・カラージュは非常に紳士的です。シモン・アールを自由に行動させ持ち物の監視もしていません。現在の国際法から見ても模範的な態度です。なかなか興味深い人物ですが、本作品ではケル・カラージュという人物についてはあまり詳しく描写されていません。シモン・アールとの会話も限られています。シモン・アールが接触する海賊は、ほとんどセルコ技師一人です。

 しかしそれにしても、海賊達は意外にも男ばかりで禁欲的な生活をしているようです。
 映画版では女性が一人登場しましたが、原作は男しか登場しません。
 現在はジェンダーとかクオーター制とか言われるようになってきましたが、ヴェルヌの作品は「女性蔑視」というより「女性無視」なのであります。
 まあヴェルヌには描きたいテーマというのがあって、女性が登場すると他に色々と事件が発生して問題が出てくるだろうからあえて焦点を絞っているのだと思います。


 学研少年少女ベルヌ科学名作全集版(福島正実訳)と創元推理文庫版(鈴木豊訳)を読み比べてみました。鈴木版は多分完訳版でしょう。少年少女向け縮約版であろう福島版は、原作の骨子となる事件をほぼ網羅しています。バックカップ島内部の秘密基地に鯨やサメが侵入するエピソードが省かれているくらいです。それだけヴェルヌの文体には装飾が多いということで、ストーリーを味わうためだけには省略できる枝葉も多いということではないでしょうか。
 しかし福島さんはフランス語ができたのでしょうか?フランス語の原版からの翻訳なのでしょうか?それとも英語版からの重訳なんでしょうか?


 本作品はカレル・ゼマン監督の映画版(1958年)も有名です。「悪魔の発明」という邦題はこの映画の日本公開時のタイトルを踏襲しているようです。
 映画版もストーリーの骨子は原作をほぼ踏襲しています。ただ、ヤナ・ザトロウカロヴァーという女性が登場したり、シモン・アールとヤナが島を脱出するくだりに変更があります。
 それよりも、原作と福島版の最後のシモンの顛末のくだりが大きく違います。
 原作版ではシモンは意識不明で発見されますが後に息を吹き返します。
 福島版ではシモンは瀕死の状態で発見され、後に息を引き取ります。
 少年少女向け翻訳でなぜ原作と違う語り手の死の結末としたのか、福島正実の美意識なのでしょうか。そこまで考えると、ヴェルヌはなぜシモンが生き残る結末としたのかという問題提起もできます。興味あるところです。
 それにしても、ロック電撃弾は2キロ以内の物体を破壊し尽くすはずではなかったのでしょうか?弾薬庫の在庫を全て爆破したのだからバックカップ島全部が破壊されて当然ではないでしょうか?本来ならシモンの肉体もシモンの記録ノートも海の藻屑となっていておかしくないはずなのですが、それではお話になりませんね。

 さて、最後、トマ・ロックは島を攻撃しに来たフランス軍艦が掲げた国旗を見て正気を取り戻します。ここには大きな問題提起があるように思います。ヴェルヌは性善説に基づいてこのような記述にしたのだと思います。しかし国家だとか国旗だとかいう大きな問題は、そんなに単純に考えてよいものでしょうか。
 悪い意味で考えれば、洗脳教育に利用できるのではないかとも思えるのです。例えば、マンガなんかで悪の組織の戦闘員が悪の組織のマークを見て「〇〇総統、バンザーイ」と敬礼するようなイメージです。

 創元推理文庫版では巻末の訳者あとがきで、面白いエピソードが紹介されています。
 19世紀終わりころからヴェルヌ破産説だとか色々無責任な噂が流れたため、ヴェルヌに傾倒していたデ・アミーチスがミラノからアミアンまでヴェルヌを見舞いに来たというのです。
 エドモンド・デ・アミーチスはイタリアの作家で、『クオレ』で有名です。『クオレ』はイタリアの統一運動のための愛国小説であります。私も中学生の頃、『クオレ』を読んで感激してナショナリズムにかぶれたことありました。このアミーチスがヴェルヌの同時代人でありかつヴェルヌを愛読していたとは、意外であり面白いことです。
 鈴木氏はさらに、チュルパン事件についても記述されています。

「本書の中にも、チュルパンの名がはっきり書かれ、失意の発明家の暗い運命を暗示する個所が二、三あるところをみても、ヴェルヌがこの不幸な化学者を土台にしてトマ・ロックという天才の映像を描き出したことは疑いない。」

「本書の中にも、チュルパンの名がはっきり書かれ」と書かれていますが、私は気付きませんでした。ある程度飛ばし読み気味なところがあったもんで。何しろ一字一句読んでいたら読了までに1カ月くらいかかるかもしれません。これから完訳版を読まれる皆様はぜひ、チュルパンがどこに出てくるか注意してみて下さい。(2023.03.15)


↑学研版の挿絵は清水耕蔵さん。貼り紙のような額縁に入っているという凝った構図になっています。

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