顔をなくした男 ベリヤーエフ

【あらすじ】
 イタリア生まれのアントニオ・プレストはアメリカで喜劇俳優・喜劇映画の監督として成功者の生活を歩んでいた。
 彼はホルモンの異常により、身体に異常があった。しかしその異常は喜劇俳優としての彼のキャリアにプラスに作用していたのである。
 しかし彼は自分の醜さを呪い、二枚目の悲劇俳優になりたかった。
 彼は友人のフォフマンから、ホルモン治療の名医・ソローキン博士がアメリカにやって来て治療を始めたと聞き、押しかけて行った。
 長期間の治療により二枚目に変身したプレストは意気揚々と帰ってくるが、仕事の関係者達の態度は冷たいものであった。
 犯罪者扱いされ傷ついたプレストは失踪し、復讐を始めるが……。

 

 

【感想:何でこうなるの?!ベリヤーエフ版『鼻』】
 本作品のテーマはホルモン。
 主人公のプレストは甲状腺と脳下垂体の分泌機能の異常により、健常人と少し違っています。
 ところが精神機能はしっかりしたもので、ハンディを克服して喜劇役者・喜劇映画監督として大成しています。
 障害ではなく個性・障害ではなく特長というプラス思考の賜物です。
 ホルモンが発見されたのは20世紀初頭といいます。本作品の発表は1929年。
 ベリヤーエフは最新の科学知識を使って本作品を執筆したのでしょう。
 そして舞台は当時の最先端文化の発信地・アメリカの映画業界となっています。
 発見されたばかりのホルモンについてはまだよく分かっていないことも多く、今読むと魔法めいた作用をもたらすものとして描かれています。
 それだけベリヤーエフは科学技術への希望を持ち、想像力を豊かに羽ばたかせたのでしょう。
 ベリヤーエフはまた、ホルモンを説明する際、「化学的使者」「労働者代表」とも表現しています。
 実はソローキン博士はロシアの医師で、ホルモンによる人体の調節をソヴエトの政体と似ている、労働者代表ソヴエトが人類全体の調和をはかっている、と表現しています。
 ロシアの名医がなぜかアメリカに招かれて研究をして物語の重要人物となっているという。
 実はこの作品ではアメリカの映画業界やアメリカ社会の醜い部分が描かれています。
 顔が変わってしまったプレストに対してスポンサーは
「顔が変わるとまた売り出しの宣伝に金をかけなければならない」
と文句を言います。
 なぜか筆跡も変わってしまったため、本人の証明ができずに財産を差し押さえられたりします。
 一体何でこうなるのという悲喜劇的な展開で逮捕されたり裁判にかけられたりする羽目に。
 ようやく誤解が解けてスポンサーや元恋人が和解の兆しを見せた時、プレストは失踪してさらにまた何でこうなるのという斜め上の展開が続いていきます。
 醜い顔が二枚目になって幸せになるかと思いきや何でこうなるのという展開、まるで芥川龍之介の『鼻』です。
(実はプレストの醜い顔の中で最も特徴的な部分は鼻だったりします)
 或いは薬品を使って変身していい思いをしようとして失敗するという、『ジキル博士とハイド氏』『透明人間』のパターンか?

 ところで、本書に登場するソローキン博士がすごすぎます。
 ソローキン博士のホルモンを使った治療について詳しく描かれていますが、まるで魔法です。
 こんなすごい治療をしているのなら、もっと有名になってアメリカ全土に知られていても不思議ではないはずですが、本作品の世界観ではなぜかあまり知られていないようです。
 そして最後にはアメリカから強制退去させられることになります。
 超一流の医師であり科学者に対して少々ひどい扱いです。
 これがベリヤーエフのアメリカ観なのかもしれませんし、ベリヤーエフのペシミズムなのかもしれません。

 巻末の解説では東大医学部の高山忠夫先生が9ページに渡ってホルモンの解説をされています。
 なかなか専門的な解説で、高校生物や大学教養課程の授業みたい。
 当時の小学生はこんな文章を読んでいたのですか。
 SFを読むと理科が得意になりそうです。
 そしてその解説で高山先生は本作品を否定するようなことをサラリと書かれています。

「しかし、残念ながら、今のところはホルモンのこまかい働きは、まだよくわかっていません。したがって、ホルモンの異常でおこった病気も、あるものは、その治療も充分ではありません。この本に書いてあるように、一度変わった姿を元にもどしたり、新しく変えたりすることは、現在のところはまだできません。」
「将来はそのようなことも可能となるかも知れません。」

 本書の巻頭には2ページに渡って、訳者の馬上義太郎さんによる「はじめに」が掲載されています。
 これがまた、簡にして要を得た素晴らしい「はじめに」です。
 本作品のあらすじに始まり、本作品の意義やベリヤーエフの作風まで、実に含蓄のある「はじめに」のお手本とも言うべき名文です。
 それによると本作品は1929年に描かれ、1940年に『自分の顔をみつけた男』と改題され、結末が書き換えられたという。

「プレストは、自分を追放した映画界を敵にまわして、独立プロダクションをつくり、下っ端俳優やカメラマン、助監督、道具方などと団結して新しい道を切り開いていくという筋になっています。このことは、作者の物の見方が大きく変化してきたことを物語っているのです。」

 本書は1929年版の翻訳となっています。しかし上の文章を読むと、1940年版の方が面白そう。
『ドウエル教授の首』にしろ『両棲人間』にしろベリヤーエフ作品は物悲しい結末の作品が多い、というイメージがありますが、1940年版の結末はどうなんでしょうか。

 そして「はじめに」では、ベリヤーエフの作風変化についてこう指摘しています。

「一時、作品の発表が中絶されましたが、1933年からふたたび彼の作品は活発に発表されるようになりました。そして、彼の作風も一変し、ソビエト人を主人公とした作品が多くなってきました。」

 そうなんですか?当HPでは今後もベリヤーエフの作品も色々と読んでいくつもりです。

 

 

『ベリャーエフ少年空想科学小説選集(A・ベリャーエフ)』
  https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=13709
 ↑なお、復刊ドットコムで復刊リクエストされています。
 賛同の投票お願いします。
 とはいえ、本作品は現在では差別的と言われて使われなくなった単語も頻出しているので、そのままの復刊は無理かもしれません。
 1940年版『自分の顔をみつけた男』の日本初翻訳なんて出ないでしょうか。

 
↑画像は まんだらけ 様から拝借しました

 

 

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