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地球最後の日(毒ガス帯)トイレをどうしていたのか考えると寝られなくなっちゃう

 コナン・ドイルのチャレンジャー教授シリーズ。
 私自身の本作品の初読は小学校の図書室の児童向け翻訳で(武田武彦訳)。
 私はミステリーよりSFの方が好きだったので、多分これがドイルの初読になると思います。
 その本には他にホームズ作品も収録されていたようですが、全く記憶にありません。
 だから私の読書歴を顧みると、コナン・ドイルといえばホームズよりもチャレンジャー教授、というのが初期設定でした。
 それがいつの間にか長い間チャレンジャー教授はじめドイルのSF作品のことを失念していました。
 最近ふと思い出してドイルのSF作品を読んでみようと思ったわけです。

 私は引きこもりの性質があるので、幼い時からなぜか籠城戦というシチュエーションに燃えました。
 その最高峰がジョン・ウインダムの『トリフィド』でしょう。
 この『地球さいごの日』も、毒ガスが充満する世界で酸素ボンベを部屋に持ち込んで籠城するというシチュエーションが面白く、記憶に残っていたものです。
 しかしトイレが気になる年代になった今、飲食はともかくトイレはどうしたんだと気になって仕方ありません。
 夢より現実が優先されます。年を取るのは辛いものです。
 ところで、現実的に、トイレはどうしていたのでしょうか。
 28時間も籠城していたのですから、何度かトイレの必要はあったはずです。
 籠城部屋には奥に化粧室(永井訳)・化粧部屋(龍口訳)があるようです。これがトイレなんでしょうか。
 日本でもトイレを化粧室とかお手洗いとか言いますよね。
 しかし、チャレンジャー夫人が化粧室のベッドで寝ているという記述があります。
 ということは、文字通り化粧する小部屋なのでしょうか。
 それとも、トイレも備えた小部屋なのでしょうか。
 5人が28時間籠城していた間、トイレをどうしていたのか、考えると気になって寝られなくなっちゃう。

 本作品の原題は「The Poison Belt」。それが1957年の武田武彦訳のタイトル『地球さいごの日』が定着して、角川文庫の永井淳の全訳でも『地球最後の日』となっています。
 確かに途中までは本当に地球最後の日の様相を呈しているのですが、一夜明けるとこれがとんだ一杯食わせ物で、『地球が眠った日』だったことが判明。毒ガス帯ならぬ『麻酔ガス帯』だったわけです。
 お前ら眠ってる人を死体と間違っていたんかい!と意外に思うのですが、科学者であるチャレンジャー教授とサマリー教授が詳しく調べたところによると、単に眠っている状態ではなく確かに死体だった、しかし死体が死体らしくなかった(野田訳)、とのことです。
 完訳版でこのように説明されています。

「あれはいわゆる強直症というやつだったにちがいない」
「過去においてはきわめてまれな現象で、絶えず死と錯覚されてきた。その状態がつづいている間は体温がさがり、呼吸はとまり、心臓の鼓動も識別できなくなる――実際のところ、一時的な現象である点を除けば、死そのものであるといってさしつかえない。」(永井訳)

 確かエドガー・アラン・ポーの短編作品でも強直症の話があったような気がします。
 しかし子ども向けの野田開作版では、強直症という説明では難しいと判断されたのかもしれません。

「わたしたちがみたかぎりでは、全部死体でした。」
「こんどの死の毒ガス事件に関するかぎり、もっとくわしい研究をしてみなければ、なんともいえませんね」
「要するに、あの毒ガスの正体をつきとめるほかないのです。」

 要するに研究しないと分からないと言っているだけなのですが、何となく座りがいい説明ですね。
 さらに野田版ではチャレンジャー夫人のオリジナルセリフも入っています。

「生きかえった人はいいけど、汽車の衝突や火事で、ほんとうに死んでしまった人もいるわね。不幸な人たちだわ」

 原作にはない展開ですが、訳者の野田開作さんはなかなか見事な展開にまとめられたと思います。
 それにしても、一行が運転手や女中さん達を早急に埋葬してしまわなくて本当に良かった。

 さて毒ガスの研究といえば、もっと突っ込んで考えると、本作では「エーテル」というものが想定されています。

「それは輻射媒体、すなわち星と星の間に拡がって全宇宙に充満する微細なエーテルの変化かもしれません。」(永井訳)

 ここで言うエーテルとは有機化合物ではなく、宇宙空間における光の媒体として考えられていたものです。
 エーテルの存在について色々な実験や議論が行われ、最終的にアインシュタインの特殊相対性理論(1905年)によって否定されたようです。
 この『毒ガス帯』は1913年の作品ですが、エーテルの存在を前提として描かれているようです。

  [wikipedia:エーテル (物理)]
  [wikipedia:エーテル (化学)]
  エーテルってなに?(江頭教授)

 毒ガスから籠城中、チャレンジャー教授は顕微鏡で前日に作成していたアメーバの標本を観察し、生存を確認して喜びます。

「アミーバが生きていることをきみがなぜそれほど重要視するのかとんとわからん。そいつはわれわれと同じ空気の中にいるから、毒の影響を受けないのはむしろ当然だ。もしこの部屋から外へ出せば、ほかの動物たちと同じように死んでしまうだろう」

 というサマリー教授の意見がもっともだと思います。これに対するチャレンジャー教授の反論は、エーテル説を背景にしないと分からないでしょう。

「この標本はきのう作ったものだが、完全に密封されている。したがってこの部屋の酸素が入りこむ隙間はない。しかし、もちろんエーテルだけは、宇宙の隅々まで侵入するように、この標本の中にも入りこんでいる。つまりアミーバはエーテル毒におかされずに生き残ったのだ。したがってこの部屋の外にいるすべてのアミーバも、きみが考えたのとちがって、実は死なずに破局を乗り越えたと断言してさしつかえない」

 どうやら原作では酸素濃度を高めることによってエーテル毒の影響を低下させることができるという設定のようです。
 さすがに子ども向け翻訳の野田版ではこの辺がよく分からなくなっています。

「このアメーバは、きのう採集してビンのなかに入れたまま、いままで棚においといたんだ。したがって、酸素のおかげはこうむっていない。死ぬのなら、とっくのむかしに死んでいたはずだ」

 しかしそもそも標本にしたアメーバがまだ生きているというのが分からないのですが。
 標本にした時点で死んでいるのではないでしょうか?
 その辺、詳しい方の説明お願いします。

 さて調べたところ、本作品の邦訳は7つの版が確認されます。

1957年
地球さいごの日
 武田武彦・訳
  偕成社名作冒険全集10
 装丁 沢田重隆 カバー絵・さし絵とも長岡美好

1960年
地球最後の日
 片方善治・訳
  岩崎書店 ドイル冒険・探偵名作全集5
 挿絵 下高原千歳。

1963年
地球最後の日【※】
 野田開作・訳
  偕成社世界推理・科学名作全集16
 装丁・杉浦範茂 絵・依光隆

1967年
地球最後の日【※】
 永井淳・訳
  角川文庫
 絵・三谷芙沙夫

1970年
世界SF全集 第3巻 ドイル「毒ガス帯」【※】
 永井淳・訳
  早川書房

1971年
毒ガス帯【※】
 龍口直太郎・訳
  創元推理文庫(現・創元SF文庫)

2016年
毒ガス帯・寄生虫(パラサイト)
 笹野史隆・訳
  コナン・ドイル小説全集
   私家版

 そのうち【※】を付けた4つの版を読み比べてみました。
 古い版から順番にコメントしていきます。

1957年 地球さいごの日 武田武彦・訳
 多分これが私が小学生時代に小学校の図書室から借りた版。他にホームズ短編も収録されていたようですが、記憶になし。私はミステリーよりSFの方が好きだったようです。 

1960年 地球最後の日 片方善治・訳
 岩崎書店のドイル冒険・探偵名作全集とは一体どんなシリーズだったのでしょうか。ホームズものだけでなくSFや冒険小説も収録されていたとは素晴らしい。子ども向けシリーズとはいえ当時は非常に充実していたのですね。

  [wikipedia:片方善治]

1963年 地球最後の日 野田開作・訳 22字×14行×2段×119頁=73,304字
 子ども向けにザックリと分かりやすく訳しています。細かい記述や議論は省略されていますが、ほぼ原作の骨子は伝えています。完訳ではマローン記者の語りとなっていますが、本訳では三人称体で書かれています。完訳にはない「マローンは~~した」という記述が新鮮。また、ロクストン卿が「わがはい」と自称することによってキャラ立ちしています。他の版では酸素ボンベは5本なのになぜかこの版では6本になっています。『マラコット深海の謎』も収録。

1967年 地球最後の日 永井淳・訳 43字×18行×146頁=113,004字
 完訳ですが武田訳を踏襲して『地球最後の日』のタイトルです。永井淳さんの文体は躍動感があって今読んでも古さを感じません。三谷芙沙夫という方のユニークでユーモアを感じさせる挿絵が豊富に収録されています。『分解機』『地球の叫び』も収録。

  [wikipedia:永井淳]

1970年 世界SF全集「毒ガス帯」永井淳・訳 26字×21行×2段×79頁=86,268字
 角川文庫版の再録。『ロスト・ワールド』『マラコット海淵』『物質分解機』『地球の叫び』も収録。何とこの1冊に文庫本3冊分詰まっています。お得ですが字が小さくて読むのが辛そう。昔の人はこんな本を読んでいたんですね。

1971年 毒ガス帯 龍口直太郎・訳 43字×18行×139頁=107,586字
 龍口直太郎さんは文学者として著名な方で格調高い文体なのですが、今読むと文体が古いと感じられます。永井淳さんは龍口さんよりかなり下の世代でありエンタメ系作品の翻訳を専門としていただけあって、永井訳の方が今読んでも違和感なく読みやすい。チャレンジャー教授のキャラとしては永井訳の方が自然に感じるのですが、文学者の訳したチャレンジャー教授作品を読むのも一興かと。『地球の悲鳴』『分解機』も収録。

  [wikipedia:龍口直太郎]

2016年 毒ガス帯・寄生虫(パラサイト) 笹野史隆・訳
 120部限定の私家版とはどんなものなんでしょうか。ここまで趣味を極められるとは幸せな人生です。

「シャーロック・ホームズの世界」サイト
『コナン・ドイル小説全集 笹野史隆訳 』の内容紹介 (120部限定の私家版、刊行中)
   http://shworld.fan.coocan.jp/06_doyle/sasano/sasano_doyle.html

 さて、結局、本作品に登場する毒ガス(エーテル帯)とは一体何だったのでしょうか。科学的にあり得るものなのでしょうか。
 このガスの科学的性質について述べられた部分があります。
 チャレンジャー教授一行が部屋に籠城して外を見た時、火事が発生します。その時にチャレンジャー教授は言います。

「現に物が燃えているということは、大気中の酸素の比率は正常であり、異常をきたしたのはエーテルのほうだという事実をはっきり示している。」(永井訳)

 この部分から酸素とエーテルは次元が違うものだと伺えます。
 これが子ども向けの野田版ではこうなります。

「ふたりの学者は、家事を発見したことによって、死の毒ガスの正体に、あらためて首をひねったのである。あらゆるものを殺すほどのガスは、炭酸ガスみたいに、むしろ火を消す性質をもっているはずだと考えていたからだ。」

 また、その少し前には、サマリー教授がこんなことを言っています。

「できることなら、すこしばかりビンにつめこんで取っておくんだったね。化学分析をすれば、毒ガスの正体が判明したかもしれない。毒ガスの正体がつかめれば、宇宙の未知のなぞや、恐怖の秘密をときあかせたかもしれない」

 これはドイルの想定したエーテル説の観点から見ると見当違いの記述なのですが、エーテル説が崩壊している現在読むと、こちらの記述の方がすっきり説明がつくような気がします。何より子ども向けに分かりやすく科学的な説明をされたことがナイスです。

 少し前、「フォトンベルト」ということが言われましたが、フォトンベルトは現代版・毒ガス帯のようなものではないでしょうか。
 宇宙空間を漂う怪物と言えば、『宇宙大怪獣ドゴラ』がありました。
 ウルトラシリーズでもバルンガやバキューモンという怪獣がありましたね。
 他、ハレー彗星の尾に地球が突入すると言って大騒ぎする短編小説がありました。
 これはタイトルを調べて読んでみたいと思います。

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