超人類の超人類による超人類のための島【エスパー島物語(超人の島)】
エスパー島物語 オラフ・ステープルドン作 矢野徹・訳
水田秀穂絵 岩崎書店〈エスエフ世界の名作 23〉 1967年8月
超人の島
水田秀穂絵 岩崎書店〈SFこども図書館 23〉 1976年2月
オッド・ジョン
早川書房 1967年8月
オラフ・ステープルドンの『オッド・ジョン』は岩崎書店から矢野徹さん訳で少年少女向け翻訳が出ていました。完訳版は同じ矢野徹さん訳で早川書房から出ています。同じ訳者が完訳版も抄訳版も出しているとは非常に興味深いことです。しかも翻訳作品集成によると、どちらも1967年8月に出たようです。SFの古典的名作の翻訳が完訳と縮約を同時に、しかも同じ訳者で出るとは、非常に素晴らしい試みだと思います。こういう試みはもっと続いてほしかったですね。
本作品の内容は、人類より優れた新人類が孤島にコミュニティを作り、人類に攻撃されて滅びていくという諸行無常の結末です。結局彼らの存在は人類にどう影響を与えたのか、意味があったのかということです。
しかし、意外とこういうことは良くあることなのではないでしょうか。
非常に悪い例えで恐縮なのですが、人間の身体の中で癌細胞は普通に発生しているといいます。ところが、免疫機能によって消去されるので人間は癌にならずに健康に過ごしているのだそうです。
例えが悪いのですが、新人類もこんな風に頻繁に発生しているけど、周囲の環境やら何やらで埋もれてしまい、影響力を発揮できていないだけなのかもしれません。
そして、ごくたまに環境に適応して才能を開花させた人が画期的な発明をして社会を変えてきたのかもしれません。
超人類は身体的・精神的に周囲の一般人と違っているという描写があります。ジョンが仲間を探した時、精神病や犯罪者になっていた人が多かったそうです。
現在の世でも集団生活に馴染めなくて孤立しがちな人が多いと思います。仲間外れになって孤立することも多いでしょう。そんな皆さんももしかしたら超人類なのかもしれませんよ。本作品を読んで希望を持って生きていきましょう!
能力があるかどうかはともかく、実は私も集団生活に馴染めないタイプなのです。もし子どもの頃に私が本作品を読んでいたら、どう思ったでしょうか?残念ながら読む機会がなかったのですね。
だから、子ども時代には多くの本に触れておく方が良いと思います。
孤島に新人類のコミュニティを創るんだ!というジョン少年の企画に賛同して多くの新人類が集まってきます。一方で、賛同しながらも仲間に加わらなかった新人類も何人かいます。
実は仲間に加わったのはジョン少年と同年代や年下の者達で、仲間に加わらなかったのはジョン少年より年上の方々でした。年をとった方々は社会や周囲の人々と折り合いをつけて生きていく方法を見つけており、今後もその生活を続けることを選んだのでしょう。
我々現人類も、若い頃は周囲とぶつかり、軋轢を生みながら人生を学んでいき、やがて角が取れ丸くなっていくものです(そうありたいものです。たまに年を取って頑固になる悪い例もありますが)。新人類の人々もそのような傾向があるということなのでしょうか。
周囲と軋轢を繰り返しながら失敗を繰り返し人生を反省した現在の私から見ると、チベットの山の寺院に住む盲目の僧・ランガッツェさんが一番理想的な人生を送っていると思います。ジョン達もランガッツェさんの下で穏健に新時代を創っていけば良かったのではないか、と思うのです。
←アドランさんも穏健な人格者です。
ところが若い時代には穏健な方法は生ぬるい、一気に改革を行おう、と思うものです。
ジョン達は島で何をやろうとしていたのでしょうか。ともかく何かを完成させた後に全てを破壊する道を選びました。こんな結果、悲しいものです。もっと穏健に平和的に継続していく道はなかったのでしょうか。
とはいえ、彼らはヌグ・グンコが発明した核破壊光線の実用化を話し合いによって否定しました。それが新人類たるゆえんなのでしょう。我々旧人類は防衛のための兵器は必要だとか何とか理屈をつけて兵器を開発し、使ってしまうものです。それが新人類と旧人類の大きな違いであり、哲学者ステープルドンの風刺なのでしょう。
3回に渡って島の調査に失敗した各国は、6か国の艦隊でやって来ます。
イギリス・フランス・アメリカ・オランダ・日本・ロシアの6か国連合艦隊です。
(ロシアの国名の表記は、完訳版では「ロシア」ですが、縮約版では「ソ連」と表記されています。)
本作品は1935年の作品ですが、ドイツではなく日本が入っているのは面白いですね。
当時のドイツは第一次世界大戦の敗戦国であって、日本は第一次世界大戦の戦勝国でした。
当時のイギリスにとってはドイツより日本の方が脅威だったのでしょうか。
しかも日本代表は友好的な他国の人々とは違い、心理的操作には惑わされずに超人の島を攻撃します。
しかも執念深くジョンを殺そうと思い続けてきた新人類でもあるヘブリデス諸島の幼児のテレパシーの影響下にあったという設定です。何とも日本人が不気味なイメージで描かれたものであります。
それにしてもフィドーおじさん、お前はもっと反省せんかっ!
最初に調査隊が来た時、お前がポイ捨てしといた煙草の吸い殻が秘密の発覚につながったんやないか!
しかも不用意に飛び出て行って余計に状況を悪化させるし。
あの時飛び出て行かずにジョン達に任せておけば、心理的操作で吸い殻のことを忘れさせて追い返すこともできたんではないだろうかと思ったりもします。
さて、本作品は矢野徹さんが完訳版も少年少女向け縮約版も翻訳しています。縮約版では子どもが読むことを配慮して一部改変された部分があります。
1 ジョンが宝石に興味を持ち、夜中に泥棒を繰り返していた時、友人の警官スミッソンに見つかります。完訳版ではナイフで殺害するのですが、抄訳版では催眠術で発狂させます。
2 ジョンが設計した船「スキッド号」の初航海の際、スキッド号は沈没した船の救命ボートを助けます。しかし秘密が発覚すると思った彼らは遭難者達を皆殺しにして救命ボートを沈めます。しかし縮約版では記憶を消して置き去りにしました。
3 彼らが南太平洋に発見した孤島には原住民がいた。原作では催眠術を使って原住民を集団自殺に追い込みますが、抄訳版では他の島に追い払いました。
原作では目的のためには手段を選ばず殺人など残酷なこともやっているのですが、さすがに少年少女向け翻訳ではそのまま訳すわけにはいかず、少し穏やかに訳しています。こういった変化を読み比べるのも縮約版を読む楽しみであります。
最後の締め括りの違いも味があります。完訳版ではパックスの語りで終わっています。
「……ヌグ・グンコが、サンボを抱いてドアの中へはいっていきました。突然、閃光がきらめき、轟音と苦痛、そして何も無しになってしまったわ」と。
ところが縮約版では、この次に語り手による締め括りの文言があります。
「これで<おかしなジョン>の伝記はおわりだ。かれがいったとおり、だれにもしんじてはもらいえないだろうから、わたしは小説のかたちにしてかいてみた。
しんじようが、しんじまいが、あなたの自由だ。わたしはできるかぎり正確にかきとどめたのだが。」
原作のような終わり方は落語でもよくありますね。いきなり終わって印象を強める終わり方です。
しかし一方で、唐突にも感じます。何か締め括りの言葉があった方が座りが良いという考え方もあります。
子ども向け版では、この座りが良い終わり方に改変されています。
自分自身が優れた作家でもあった矢野徹さんらしく、含蓄のある締め括りになっています。
皆様はどう感じられますか?(2023.11.04)
(岩崎書店版の挿絵は水田秀穂さん。子ども時代に本書を読んでいたら強烈な印象が刻まれていたことと思います)
(なお、アイキャッチ画像は トムズボックス 様から拝借しました)
少年少女・ネタバレSALONO(ネタバレ注意!)
『オッド・ジョン』に登場するホモ・シュピーリア名鑑
https://sfklubo.blog.jp/archives/22449629.html
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