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ひみつの科学都市/インド王妃の遺産

 
 偕成社ベルヌ名作全集9 訳:土井耕 箱絵:司修 口絵・さし絵:山野辺進
 (なお、表紙画像は 三省堂書店 様から拝借しました。)

(あらすじ)
 インドのゴクール王妃の莫大な遺産は二人の科学者に相続された。
 一人はフランス人医師・サラザン博士。
 一人はドイツのシュルツ教授。
 サラザン博士は科学的な計画に基づいた衛生状態の良いモデル都市の建設を計画。
 ドイツ人の優越を信じフランス人に敵意を持つシュルツ博士は軍事都市を計画した。
 シュルツ博士は超大型大砲を開発し、サラザン博士の都市の破壊を目論むが……!

(感想)
 本作品は1879年に出版。普仏戦争(1870~1871年)でフランスが負けた後だったようで、ドイツ人のシュルツ教授が徹底的な悪人として描かれています。
 今のアニメなんかでは悪役でもちょっといい描写なんかがあって悪役も人気あるようですが、本作品ではそういう余地は全くありません。
 しかし今では架空の国や架空の民族で描くのですが、現実にある国名や民族が悪役となっています。
 今のドイツ人は本作品をどう思うのでしょうか。
 確か1864年出版の『地底旅行』では、主人公のリーデンブロック教授は勤勉なドイツ人でした。
 ウィキペディアにも言及ありますが、ヴェルヌのドイツ人描写も戦争によってひどくなったようです。
  
  [wikipedia:地底旅行]
「融通の利かない変人科学者リーデンブロック教授の姿はフランス人から見たドイツ人像の戯画化であるが、戯画とは言っても『インド王妃の遺産』(1879年)の悪役シュルツ博士とは違い、好意を持った書き方がなされている」
  
 戦争は人に憎しみをもたらせます。
 平和であることにこしたことありません。

 シュルツ教授は殺人兵器として、すごい爆弾を発明します。
 70気圧の液化炭酸ガスが詰まった爆弾です。
 これがさく裂すると周囲は零下40度に凍ってしまうといいます。
 19世紀末にヴェルヌが考えた超兵器!今でいう大量破壊兵器です。
 核兵器は全てを燃やしてしまいますが、この爆弾は逆に凍らせてしまいます。
 これ、実用化が検討されなかったのでしょうか。
 ナチスドイツや旧日本軍が原子爆弾の製造をあきらめ、この炭酸爆弾の実用化を検討していたらどうなっていたでしょうか。

 シュルツ教授の建設した鋼鉄都市は、秘密基地のようなものです。
 徹底したトップダウン型で、各区画は孤立してトップの支配下にあります。
 この秘密基地に主人公のマックスが潜入・調査し、脱出するというスパイ冒険が本作品の中核を占めています。
 ヴェルヌは色々なタイプの名作を残しているのですが、スパイものも描いていたんですね。
 
 軍事に特化し超爆弾を持つ鋼鉄都市が戦争を想定していないサラザン博士の都市を攻撃すればひとたまりもありません。
 そんなのどうすれば防げるのかと思っていれば、意外とあっけなく終わりを迎えました。
 少々ご都合主義的な展開のようですが、これはこれで仕方ないですね。
 もしあのような事故が起こらなければどうなっていたかシミュレーションしてみればどうなるでしょうか。
  
 
 今回、二つの版を読み比べてみました。
 一つは、
 偕成社ベルヌ全集9『ひみつの科学都市』
  土居耕訳・1968年
 もう一つは、
 集英社文庫ジュール・ヴェルヌコレクション
『インド王妃の遺産』
 中村真一郎訳・1993年
(底本はヴェルヌ全集12 1968年)
 

  
 前者は児童向けの抄訳で、後者は完訳版と思われます。
 何と同じ年に発行されているんですね。
 読み比べると、明らかに前者の方が読みやすい。
 後者はまどろっこしい文体でダラダラと書かれています。
 もっとも、もともとのヴェルヌの文体がそういう文体なようで、そのまま訳すとそんな文体になるようです。
 児童向けの前者は余計な枝葉末節をはぎ取って簡にして要を得た文体となっています。
 抄訳とはいえ、偕成社のベルヌ全集は細かい字で2段組なので、文字数も多い。
 完訳に比べて省略が著しいわけでもなく、ほとんどのシーンは網羅されています。
 しかも後者は今読むと少々古臭く感じられる文体なのですが、前者は今読んでも古さを感じないいきいきとした文体です。
 日本では一時、児童向け抄訳がバッシングされて下火になりましたが、これは誤解ではなかったかと思われます。
 今改めて抄訳と完訳を読み比べ、抄訳を再評価する必要があるのではないでしょうか。
 
 例えば、悪の科学者・シュルツ博士のセリフを比較してみます。
 まず、シュルツ教授が執事を叱るシーン。
 
(抄訳版) 
「六時五十五分!新聞は六時半にくるんだろう。二五分おくれている。こんどおくれてもってきたら、おまえはくびだぞ。」
「夕食は七時にきまっておる。おまえはここにきて三週間にもなるじゃないか。なんどおなじことをいわせるんだ。」
(完訳版) 
「六時五五分か!郵便配達は最終便が六時半だ。きょう、きみの届けかたは二五分遅れた。六時半にこのテーブルの上に届けないと、きみは八時にこの家から出ることになる」
「いまの時刻は六時五五分だ。食事は七時に決まっている。よく知っているはずだろう。ここに来て三週間にもなるのだから!一時間たりとも予定を狂わさぬようにしてくれ。おなじことを何度言ったらいいのだ」
 
 この文脈で「きみ」は不自然だと思います。
 抄訳の方が短く簡潔で分かりやすいですね。
 次に、マックスとシュルツ博士の初対面のシーンから。
 
(抄訳版)
「おまえがゾーンのかわりになってくれればよいがな。あのばかめ、けさダイナマイトをいじくりまわして、死におった。すんでのことで、わしまでふきとばされるところだった。」
>シュルツ教授の声には、ひとの死んだことなど、気にもかけていない、ぞっとするような冷たさがあった。/
 
(完訳版)
「きみならなんとか、今朝ダイナマイトの包みをいじくって自殺したあのゾーネの馬鹿野郎のかわりがつとまるだろう!……あのまぬけはあやうくわれわれ全員を吹きとばすところだったからな!」
>はっきり述べておく必要があるが、こうした失礼なことばも、シュルツ氏の口から出るとたいして不快には感じられなかったのだ!/
  
 この文脈で「きみ」と訳すのは、慇懃無礼なインテリという設定なのでしょうか。
 抄訳版では地の文の意味が反対になっています。子ども向けにシュルツ教授の冷酷非道を分かりやすく強調したのでしょう。

 完訳版の訳者の中村真一郎さんは高名な文学者で、こんな大家がヴェルヌを訳していたとはすごいことです。
 しかし、余りにも格調高すぎて今となっては読みにくい文体ではないでしょうか。
 抄訳版の訳者の土居耕さんは児童向け翻訳が多くて余り有名ではありませんが、意外と今読んでも古びない分かりやすい文体だったのではないでしょうか。

  [wikipedia:中村真一郎]

 最後に、固有名詞の訳し方を比較しておこうと思います。
(上が抄訳版、下が完訳版)

フランソワ・サラザン(どちらも同じ)
シュルツ教授(どちらも同じ)
 
ヨハン・シュバルツ
ヨハン・シュヴァルツ
  
オットー・サラザン
オクターブ・サラザン
 
マックス・ブルックマン
マルセル・ブリュックマン
 
ジャネット・サラザン
ジャンヌ・サラザン
 
フランクビル
フランス市
 
鋼鉄の町
シュタールシュタート


 

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